先輩への挨拶について考える
先日も、テレビで野球番組を観戦していて、プロ野球選手のインタビュー風景で、思った。他のチームの選手を、自分より年下だけの理由で、呼び捨てにしているのを見て、嫌な気分になった。
こうした現象は、体育会系の人間に多く見られる風潮であるが、必要以上に礼儀正しさを求める行為は、自分の優位性を無理強いしているみたいで、あまり好きになれない行為である。
中学生の部活における先輩や後輩との人間関係でも、この傾向が強い。以前、目撃した同種の光景は、女子バレー部員の挨拶風景であった。運動場の端を2-3人の先輩が下校していく【その距離:約150m】、その後姿を確認した下級生3人組は、大きな声で叫んだ。「先輩~。さようならー。失礼します。」と大声で挨拶し、最敬礼をしていた。そこで、私は彼女たちに問いかけてみた。「なぜ、あんなに遠く離れた距離なのに、挨拶が必要なのか。」「不自然ではないか…。」そしたら、「これをしないと先輩に叱られて、怖いと…。」また、「これが部の伝統で、いずれ自分たちも後輩から、このように扱われるとき、優越感を感じ、うれしい。」とのことであった。
でも、挨拶の強制は、昔の軍隊映画を思い出させ、嫌な気分にさせられた。もちろん、年上の者を敬い、礼を尽くす態度は、けして悪いことではないが、その態度や挨拶の仕方は、強制ではなく、自然な無理のない言動にとどめるのが、好印象を与え、それが礼儀の基本であると考える。《挨拶の強制や呼び捨て行為が、当たり前のように思われる集団や人間関係には、首をかしげる。》
特に名前の呼び捨て行為などは、いくら親しい間柄であれ、TPOを、わきまえていないと、何か偉ぶっているような印象を周囲の人に与え、嫌な気分にさせられることがある。
写真:豊橋駅前
話は変わるが、俳優の渡哲也氏は、彼の著書のなかで次のように話していた。映画会社の日活に入社したての頃、食堂で、食事中の石原裕次郎氏に、はじめて出会った。無名で入社したての自分の挨拶にもかかわらず、わざわざ起立して「石原です」と挨拶を返してくれた。そのとき思った。大スターなのに、この人は、何と礼儀正しい人なのか?。それが最初の出会いであり、駆け出しの渡哲也氏を感動させたと…。
礼儀正しい行為は、それだけで相手に好印象を与え、人間として尊敬されることにつながる。そのことが、以後の信頼しあった付き合いに、発展したようである。
人間、偉くなり、人気が出たりすると、自分を見失いその言動が大柄になってしまうものである。にもかかわらず、礼儀正しい挨拶行為のできる石原裕次郎というスターに、世間の人々は、家庭での躾のできた、育ちの良さ感じた。と同時に、当時としては、少し不良めいた言動と生育暦の良さ、この相反するような不協和音みたいなものが、大きな人間的な魅力にもつながり、空前の人気を勝ち取ったのだと考える。
無理に自分の力量や立場を誇示するのでなく、『実るほど、頭をたれる稲穂かな』この精神で接する人間関係が保てたら、すばらしいと考えた。
こうした現象は、体育会系の人間に多く見られる風潮であるが、必要以上に礼儀正しさを求める行為は、自分の優位性を無理強いしているみたいで、あまり好きになれない行為である。
中学生の部活における先輩や後輩との人間関係でも、この傾向が強い。以前、目撃した同種の光景は、女子バレー部員の挨拶風景であった。運動場の端を2-3人の先輩が下校していく【その距離:約150m】、その後姿を確認した下級生3人組は、大きな声で叫んだ。「先輩~。さようならー。失礼します。」と大声で挨拶し、最敬礼をしていた。そこで、私は彼女たちに問いかけてみた。「なぜ、あんなに遠く離れた距離なのに、挨拶が必要なのか。」「不自然ではないか…。」そしたら、「これをしないと先輩に叱られて、怖いと…。」また、「これが部の伝統で、いずれ自分たちも後輩から、このように扱われるとき、優越感を感じ、うれしい。」とのことであった。
でも、挨拶の強制は、昔の軍隊映画を思い出させ、嫌な気分にさせられた。もちろん、年上の者を敬い、礼を尽くす態度は、けして悪いことではないが、その態度や挨拶の仕方は、強制ではなく、自然な無理のない言動にとどめるのが、好印象を与え、それが礼儀の基本であると考える。《挨拶の強制や呼び捨て行為が、当たり前のように思われる集団や人間関係には、首をかしげる。》
特に名前の呼び捨て行為などは、いくら親しい間柄であれ、TPOを、わきまえていないと、何か偉ぶっているような印象を周囲の人に与え、嫌な気分にさせられることがある。
写真:豊橋駅前
話は変わるが、俳優の渡哲也氏は、彼の著書のなかで次のように話していた。映画会社の日活に入社したての頃、食堂で、食事中の石原裕次郎氏に、はじめて出会った。無名で入社したての自分の挨拶にもかかわらず、わざわざ起立して「石原です」と挨拶を返してくれた。そのとき思った。大スターなのに、この人は、何と礼儀正しい人なのか?。それが最初の出会いであり、駆け出しの渡哲也氏を感動させたと…。
礼儀正しい行為は、それだけで相手に好印象を与え、人間として尊敬されることにつながる。そのことが、以後の信頼しあった付き合いに、発展したようである。
人間、偉くなり、人気が出たりすると、自分を見失いその言動が大柄になってしまうものである。にもかかわらず、礼儀正しい挨拶行為のできる石原裕次郎というスターに、世間の人々は、家庭での躾のできた、育ちの良さ感じた。と同時に、当時としては、少し不良めいた言動と生育暦の良さ、この相反するような不協和音みたいなものが、大きな人間的な魅力にもつながり、空前の人気を勝ち取ったのだと考える。
無理に自分の力量や立場を誇示するのでなく、『実るほど、頭をたれる稲穂かな』この精神で接する人間関係が保てたら、すばらしいと考えた。

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