「スポーツ美談・『友情のメダル』の精神は…?」について考える

 今から50数年前の記憶である。オリンッピックの棒高跳びの決勝戦での、出来事であった。『2・3位の日本人同士が、互いの健闘を称えて、順位を争わず、メダルを半分にした友情物語』で、当時の中学校の国語の教科書に載っており、わたしは、子供心に感動したことを覚えている。
その内容は、以下のようであった。
《昭和11年開催の第11回ベルリン大会の棒高跳びの決勝戦で、友情のドラマは生まれた。決勝戦に残ったアメリカのメドウスと二人の日本人・大江季雄と西田修平の中で、アメリカ選手の優勝が決まった。夜の9時を回ったところで、審判員は2位3位の決定を日本に任せ、競技を終了した。4m25cmを1回目でクリアした西田を2位、2回目で跳んだ大江を3位と発表した。しかし、表彰台に上るとき、2位の西田は後輩・大江の今後の活躍を願い、そっと2位の表彰台に送り出した。帰国後、2人はお互いの健闘を称えあい銀と銅のメダルを繋ぎ合せた。》
 スポーツの世界は、真剣勝負である。そして、戦い終えた後は相手の健闘を称え、共に頑張った姿を認め合う潔さが、観る者に清々しさや爽やかさを感じさせる。だから、人気があり万人から愛されるのだと思う。もちろん、一部にはスポーツ選手の不祥事や八百長問題、選手獲得競争の醜さもあったが…。それを差し引いても、スポーツの人々に与える、感動と崇高さは高く評価すべきであると考える。
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いたずらに自分の保身と人気取り、ばかりに奔走し、国民や国家への貢献度など微塵も感じさせない政治の世界に比べれば、どれだけ、すばらしいことであるかが分かる。
青少年が、多感な青春時代にスポーツから学ぶことは多くあり、『後の人格形成に大いに役立つことは、疑いない。』
 ほとんどの人間、若い時代にスポーツに夢中になっていた経験の一つや二つは誰にでもある。だとしたら、あの人達は・世間の大人たちは、『その純粋な気持ちや感動する心を、どこへ忘れてきてしまったのか…。』もちろん、若いときの純真な心・目指した理想だけでは、生きていくことはできないことぐらい、誰でも分かっている。

 でも党利党略にのみはしる政治屋、不正受給に後ろめたさを感じない人達、高齢者をだます詐欺師、今一度、志を抱いた若き時代の自分を思い出して欲しい。『オリンッピック選手の競技に対し真摯に取り組む姿を見て、自分の現在の生き方を考えなおして欲しい。』
 いまからでも、あの青春時代に感じた、『人間としての誇り・崇高さ・潔さ・正義感』を思い出してもらいたい。そんなことを考えた。


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